図々しくあれ

他人の不機嫌も、負の感情全てをも、自分が背負い込んでいた時、それはそれは生きづらいし、疲労感がたまらなかった。

 

 

いつも、常に、気怠い。

気疲れだったんだなと今なら思うけれど、当時はそうするしかなかった。

 

 

親に対して機嫌を伺うことが染みつきすぎて、それを他人にもしなければいけないとなっていた。

 

 

もうそんなことはしなくていい。

しかし、なかなか簡単に行くはずもない。何十年と洗脳されてきたのだから、簡単に割り切れるわけがなかった。

 

それでまた追い込まれる。

 

できなくてもいいし、すぐに割り切れなくてもいい、このしがらみがいつか消えていってくれる…

 

それくらいに思い込まないと、心がもたなかった。

 

 

溢れる選択肢を、自分の意思で選択することに躊躇ない人が羨ましかった。

 

"迷わない"ことがいいのではなく、迷ったとしてもそれすらも楽しんでいる人。自分で答え出すスキルが教育されてきた人。

 

私は答えを出すのが怖すぎて、親の顔色を伺いすぎて、常に(母親がなんていうか)が頭から離れなかった。

 

 

自分の人生なのだけど、そうはいっても…

 

いつまでも親のせいにするな、も

自分の人生なんだよ的なのも

 

理解はしても、そう簡単には割り切れないもの。

 

それらの言葉にも追い込まれていく自分が益々苦しくなった。

 

毒親や親ガチャという言葉があって、その言葉の意味が理解され始めていることは、個人的にはいいことだと思う。

 

 

あまりに生きづらかった。

今も、それある。

 

投げ出したくなる瞬間は山ほどあるが、"私は悪くない"をこっそり思うことにしている。

 

 

何万回も言われ、思い込んできた

"私が全て悪い"

そろそろひっくり返して、心気楽人生にシフトしてもいいでしょう、と願っている。

 

私は悪くない。

 

感情コントロールされて、それに慣れちゃうと、本当に疲れてしまうよなぁ。

 

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