ドラマに翻弄される

月9のドラマいいなぁ。

 

夢中で観てる。

待ち遠しくて、見終わって翌日あたりにもう一度観たくなる、久しぶりの感覚。

 

 

整くんとライカさんの関係、空気感、お互いを自然に受け入れあってるところ、素敵だ。

 

 

難しいテーマで思うこと、言葉で書くのは難しい。けれどなんとなく書きたいから書いてみる。

 

あまりに過酷で、悲惨で、無情で非情な過去を持ち、そこになんの自責もない子供はどう生きていけばいいんだろう。

 

私はよく考える。

 

自分も、あまり幼少期はいい思い出がない。

 

自分はダメだ、できない人間で、親からも虐げられるのは私がダメな人間だからだ、そう思ってきた。

 

 

自分はダメだ、が前提であると、基本的にあらゆることが厳しい。

歓迎されてこの世に生まれてきたはずなのに、それがどこからか狂う。真逆に転じるわけだから厄介だ。

 

あの歓迎は嘘のように、親は自分の子供を受け入れられない。我が子がこんな子なはずがない、私は優秀なのに、どうして自分の子供はあの家の子より何もできないんだ…

 

"あらゆるできない"が信じられないんだと思う。

子供は期待に応えようと必死になる。1人で生きるスキルがない子供のうちは応えるしかないのだ。

そして、やはり親に認めてほしいからだ。愛してほしい。

 

必死になる、必死になって自我を殺して親のために尽力する。

 

全ては、親の安堵と喜びのためだ。

 

 

少しずつ心がカンナのようなもので削られていく感覚がある。

 

この虚しさが募る感覚はなんなんだろう。子供の頃はたぶん感覚でしかわからない。

 

生まれてきてよかった!と頻繁に思える人生にない人は思いの外いるのかもしれない。

 

人生は素晴らしいものだ!生きるって最高!と声高々に言える人はどれほどいるのだろうか。

 

 

私は、何回くらい思えてきただろう。

 

思い込もう、思える人生にしなくては、と思ったことは多分幾度とある。

 

だが、重荷だった。

 

 

ふと思う、なんとなく感じる、この自然な感覚だけで充分だ。あらゆることは自然に感じることだけでいい。

 

「人間は生きて死ぬ、それだけで大したもんだ」

 

誰が言ったのか、どこかで見つけたこのセリフがかなり支えになっている。

 

 

人の役にたち、人生を素晴らしいものに…

キラキラしたそういう言葉に影響されていたこともあったが、今、生きていることだけでも大したもんだと、自分だけは認めてあげたい。

 

 

そんな感じで、上げすぎたハードルは、どんどん下げることにしている。ちょうど良いところは、もう膝より下あたりか。