苦しいからやめよう
何かをコントロールしようとすること。人工的なものは除き、かな?
感情を、自分からあふれるものを必死にコントロールしようとしてきた。
他人をコントロールできないように、自分の気持ちをコントロールすることはできない。
あふれるものだから、でてくるものだから…
ただそれを感じたあとどうするかは選べる。
あふれるものを、この感情はダメこの気持ちはダメと制御したり、我慢したり、自分を騙したりするのは苦しいからやめよう。
喜怒哀楽の喜と楽だけで生きるなんて無理だし、それ…望むのかい、あまりの苦しさに何かに洗脳されかかっていた過去のわたしよ。
嫌もやりたくないもNOOOOも、そう思うなら思うでいい。
苦しみも痛みも葬り去ることはできないよ。
自分にしかわからない。
どんなに近くにいる人にも自分の気持ちは自分でしかちゃんとはわかってあげられない。
雑踏に、権力ある人の言葉にかき消され飲み込まれそうになるならば、一人になって静かに感じるんだ。
心刺す非情な出来事も、言葉も、髪の毛が抜け落ち眠れない日々も、あるかもしれない。すでにあった。
でもいま生きている。
呼吸して、こうして自分の感情と向き合っている。
散々、世間の目を気にして、親の目を気にして、周りに気を使いまくり、自分を騙し騙し生きてきた。
すり減った心を癒せるのは自分だ。
周りに助けてもらいながら、栄養を与える。
だいぶすり減った。五感も犠牲になった。
入らない瓶に箱に無理やりいろいろ押し込んだ。溢れたものは不要だと見て見ぬふりをして葬った。
でも無理だ、そんなことをする必要はない。
もうそんなことはしなくていいんだ。本当に。
瓶も箱も捨てた。
苦しい、嫌だ、やりたくない。
これらの気持ち、上等だ。
引き続き、自分コントロールをもっとやめていく。
長年の、こうしなければこうあるべき、こう思われるから…の思考こそ手放す。
2020年、身軽に生きる。
たとえば物理的なところで洋服。着たいと思う服が次々二の腕が露わなんだな。
二の腕出すなんて絶対無理!から、そういうのやめようと思い、昨年二の腕出てる服を1着買った。一度着たら涼しくて、気分軽やかで何度も着た。
今年の夏はもっとそういう服着たいな。
可愛いワンピとか袖なし多いんだよな。
凝り固まってる自分の考えに違和感を感じるのはいいことだって気づいた。
違和感て、自分が心地よくなるためのサインなんだね。
気付いたらどうしたいか、逐一自分に問うのみなんだ。
地道にね。