家と学校や職場、そして

サードプレイス

とある企業の就職説明会で初めて聞いた。

生活の基盤である家、多くの時間をすごす会社や学校などほぼ毎日通う場所。

 

この二つの場所で過ごす時間が人間は多い。

 

しかし、家と会社の往復に嫌気がさしたり、気分転換のために利用したり、早く家に帰りたくなくてちょっと寄って行こう…

そう思える場所こそが、サードプレイス。

 

心の拠り所と私は捉えている。

 

茶店でも呑み屋でも、図書館でもマッサージ屋さんでもいい。どこでもいい、ただ家と会社学校以外に、自分がここにいると落ち着く、安らげる場所のこと。

 

 

私はこの考えがとても気に入った。

 

 

子供の頃、小学校から家に帰るのが苦痛で仕方がなかった。

母はいつも私を怒った。何をしても気に食わないのだ、だから母に会うのが嫌で仕方がない。公園で1人時間を潰すこともあった。

 

思えば、当時の私のサードプレイスは家から15分ほどのところにある公園だったのだろう。

 

 

誰にでも、心から安らげる場所は必要だ。子供にだってそうだ。家が安心できるなら、これ以上のことはない。早く帰りたい家、話したい家族、とても素晴らしいことだと思う。

 

しかし、もし仮に、家も学校も辛い場所だとしたら。

まだ経済的自立ができない子供は、親の言いなりになるしかない。

逃げることはできない。助けの求め方も知らないかもしれない。

 

耐える

とてもしんどく辛いことだ。

いつ終わるかわからない絶望の中が続く。

 

死ぬほど嫌いで怖かった母に、消えてくれないかなと何度も思ったことがある。

 

それでも子供は、親に愛してほしいと願い、仲の良い親子の様子を羨望するのだ。

 

そして受け入れ難い現実と葛藤する。いつかお母さんは私を可愛がって話をたくさん聞いてくれて、怒ってばかりじゃなくなる、私の描く絵を褒めてくれる…

 

願っても叶わなかった。私は頑張るにシフトした。

気に入られようと、怒られないようにと、機嫌良くいてほしいがために、自分の欲をすて、お母さんの欲を満たすに全力を注いだ。

 

私はやった。

習い事も、勉強も、良い子でいる期待もこたえるべく言われる全てをやった。

 

そして、大好きで毎日描いてた漫画のノートは悲しくなって虚しくなってある時破って捨てた。

 

それでも、母は、私に優しくはなってはくれなかった。

 

愛想と人の機嫌を伺い機嫌を取るスキルを身につけた私は、大人になってからも常に笑顔を意識し、極力弱音は吐かず、頑張った。自分の気持ちがどんどん感じられなくなっていった。口ではポジティブな言葉を発することで、ネガティブな感情を封じ込めようと必死だった。

 

 

あるときから、高熱が頻繁に出るようになった。嘔吐も繰り返し、食欲もなく痩せてしまった。

熱はガッとあがり、ガッと下がる。体が信じられないくらいだるい。

熱が下がった3日目の朝、時計を見た。7時少し前、起きなければ。

しかし、起き上がれない。その頃、頻繁に起きていた金縛りなのか、と思ったが目は覚めていたし、時計も確認している。

 

ただ身体が起き上がらなかった。

 

その時初めて、もうダメかもな…

 

20何年分の涙が溢れたような気がした。

 

嗚咽して泣いた。

 

疲れた。全力で疲れた。疲れたもう疲れた。

 

疲れたしかできない。

 

 

誰かに人生を代わってほしかった。

 

 

ここまできてようやく、私は自分の心が疲弊し、辛かったと言う感情に向き合うことになった。

本当は何年もずっと、辛いと認めたら耐えられなくなるってわかってたから、見て見ぬふりを続けていたのかもしれない。

 

 

 

今、家も学校も安らげるような場所じゃない子供はどれくらいいるんだろうか。

 

誰かに、気持ちは話せているだろうか。眠れているか、きちんと食べられているか。

 

 

私はかなり神経質だ。物音にもとても敏感でビク付いてしまう。

気づくセンサーはある。

私は近所にいる子供とは必ず会ったら挨拶するように心がけてはいる。

 

 

子供の生きることのハードルが上がらないでほしい。

 

 

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春の新芽はとびきり美しい。