ぐるぐる考えている
どうしたらいいかわからない。
何度も、何度も思いながらきた。
最近、ドラマにせよ、本にせよ、映画もか、たまたま見たものが毒親虐待絡みの作品だった。
過酷な幼少期を生きる子供が思いのほかたくさんいるのかもしれない。
過酷具合はさまざまだけれど、1人の人間として見られていないとなると相当過酷だ。
親の所有物であり、「NO」を奪われる。
我慢と気力で親の無茶苦茶な要求をのむ。
受け付けなくとも、そうするしかないのだ。
限られた家庭内の空間に、誰かに入ってきて欲しくとも、その隙はなく、気づいてもらえない。他者の意見が入ってきてくれないのはキツい。
圧倒的に怖い、虚しい、嫌すぎる。
どうしたらそういう子たち、そういう環境がよくなるかたまに考える。
時代は違えど、私もNOは奪われて、忍耐と気力とあきらめのカードをフルに使い、怒り虚しさを抑え込み、親の理不尽、酷い扱いを乗り越えた。
できることをしてみる、となると、挨拶くらいなのだ。
近所に子供は何人かいる。
私は勇気をだしたりださなかったりしながら、勝手に1人挨拶運動をしてみている。
たまにできて、たまにできない。
返してくれるか不安なのだ。勝手だが、一方通行でもいいとは思えない。
無視される恐怖が蘇るのかもしれない。
"あなたに声かけてます、気づいているよ"
私はこのサインを送りたいんだと思う。
過去の自分を照らすと、そう思う。
存在を認めたい、でも否定されすぎると、もう自分がよくわからなくなる。感情が見えなくなる感覚。
それは、とても哀しくて、そうなるとなかなか元に戻れない、辛すぎることなのだ、、
自分を信じようとすることが苦しいなら、無理にそうしようとしなくてもいい。
〇〇しようとするってしんどいな
ポジティブ思考が苦しいな
この感覚に正直になることの方が心は楽になる気がしている。
ネガティヴまみれは確かに辛いが、綺麗な前向きな言葉に踊らされ、無理矢理ポジティブはもう懲り懲りである。(経験済み)笑。
散々なんとかしようとされてきたから、もう自分に鞭はうちたくない。
根っこ根っこ根っこ
根っこがすごくて思わず撮ってみた