涼しい顔でいる
その方が、
めんどくさいやつと思われず
理性的判断ができて
感情をコントロールできる
感情には振り回されないキャラでいよう
本当は執念深く
許せないことはとことん憎む
怒りもあらわにしたい
でも、冷静でいることこそ、人からめんどくさいと思われない。
いつからか芽生えたこんな感情。
人からコントロールされて育つと自分の感情に正直になることが遠くなる。
薄れていく
ぼやけていく
そして、見えなくなった。
そこから抜け出しても、簡単には戻れない。
そのことをこの数年かみしめまくってる。
たくさん頭で考えて答えを出してきた。
あまりの恐怖に相手の機嫌を察知して、機嫌とることは得意になってた。
まさにピエロ…だ。
虚しいけれど、仕方なかった。
当時はピエロなんて感覚ない。
とにかく怒らせず、機嫌よくさせるのに必死だった。
全力で生きてたんだ。
自分の感情としては、とっくのとっくに辛すぎて虚しすぎて悲しすぎて、早くこの親から解放されたいのだけど、無理だから耐えた。
感情は辛い100だけど、幼少期の私に、それに対する耐久性はまだなかった。
だから、必死に理性を働かせることを早くから知ったんだ。
よく頑張って生きてきたとようやく思えたけれど、労われば労わるほど、私って何が好きだったのか、何が得意だったのか、何が嫌なのか、もうよくわからなくなってしまっていた。
我慢して我慢してきた。
だからこれからも我慢はするんだ、大人になったんだから、ますます我慢はするんだ…。
ずっと言い聞かせてきすぎて、虚しすぎて泣けた。
我慢ロードはいつまで続くのか。
いつまで誰かに気を使い続け自分を騙し続け生きるのか。
それは、どうなんだろう…絶望的だ。
我慢ロード、もう流石にもう歩けない。歩けないとなるとその道から外れるしかない。
乗り物でどこか飛んで行きたいような気もする。
とにかく楽したい。
嫌だったあれこれ。
コントロールされることに耐えた日々。
殺意が湧いた日々。
母に、あんたの顔など見たくない、頼むから顔を見せるな!消えてくれ!と叫んだ高校時代。
ずっといい子でいた。反抗期なんかじゃない。
本気の消えて欲しいだった。
この人に、心殺されると本能的に思っていたと思う。
もうやめるんだ。
涼しい顔でいようとすることで、いろんな感情と向き合うをやめるの。排除しようとするの。
外に出さなくても、そっと自分は今こう感じているって認めるだけで、楽になれる。
自分だけしかわかってあげられないしね。
のんびりやるよ。
傷の深さは他人にはわからん。