時間をかけたいこと
時間をかけて落ち込んでもいい…
そう思えた時、嬉しいと感じた。
傷が深ければ深いほど、その時間はかかる。
ラジオを聴いていたら、落ち込んでてもなにも変わらない、ならばさっさと前向いたほうがいいです!という類の前向きメッセージに息が詰まった。
私もかつては、早く元気になろうと、大丈夫になろうと、平気になろうとし、全力で実行してきた。
自分に鞭を打ち、落ち込みを一瞬に、周りを安心させるために、自分を騙し無理し続ける。
するとどうなったか。
驚いた、とことん自分が壊れる。
難聴に視力低下、睡眠不足に食欲不振、激痩せし、生理不順。
見事に五感がやられていった。
いい加減ヤバいな…と危機に思ったのは、日頃書いてる漢字で「東京」が浮かばず書けなかった時だった。
ひたすら休みたい、早く元気になりたくない…ならなくていいかな…。ふとそう思った時、涙が溢れた。
早く元気になる義務から解放されたくてたまらなかったんだ。自然に元気になるのを待てなくて、なんとかしようとしていたことが、逆に遠ざけていた…
痛みは簡単には無くせない、なかったことにはできないし、しなくていいと思うようになった。
私は自分の生まれ育った環境を恨んでいる。親からの仕打ちを、決定権を全て奪った親を、未だ許せていない。
大人になっても、過去の苦しかったそれは消えない。
この感情はどうしようもできない。
誰かを攻撃するつもりはない。
恨んでいる、その感情だけは否定しない。
感情コントロールって、私にはできないし、もうトライするのもやめたよ。
そもそもできるものではないよな、、と思ったりする。
落ち込む時間は決して無駄ではない。
わたしはそう思っている。