型にはめるな
"こうあるべき"
長い間、本当に長い間この価値観に自分を押し込め、苦しんできた。
やりたいことに夢中だったはずの幼少期から、それらは薄まり、年々やらなければいけないことを背負っていく。
自分のキャパは小さくて、全てをやるなんて無理だった。
やらなければいけないのなら、やりたい方を手放していくしかなかった。
のろまで、勉強も運動もたいしてできない。
課せられると、それはあまりに重くて、でも下ろすことは許されなくて
背負い続けて、走り続けて。
気付いたら、登らなくていい山に、背負わなくていい荷物を背負って登っていた感じ。
荷物下ろしたら楽になるのに。
その山登るの辞めて、温泉入ろうよ。
そんな声もあったかもしれないのに、聞こえなかった。
自我を押し殺し、全力で周りに気を配り、言葉を選び、相手の顔色を伺い、よくわからないまますみませんを多用した。
口癖のようになってた。
初めて出会った人にまで、すみません…て言い過ぎだよと言われたりした。
怖かったんだ。
できない私を怒る母も、突き飛ばす先生も、ピアノができなくて機嫌悪くなるピアノの先生も。
全部嫌い、大嫌いだった。
それなのに、嫌われるのが怖くて、必死だった。
やりたかった絵を描いたり刺繍したりする時間をあきらめて、ピアノを弾いた。
ピアノなんて、ただ聴いているだけで私はよかった。
被害者意識ばかりが高まった。
またそんな自分を責めたりして、とにかくずっと何をしても苦しかった。
生きづらい生きづらい。
抜け出したい。解き放たれたい。
奥底でずっとそう思っていたんだ。
逃げるな、
頑張れ、
いつか報われるから、
ポジティブシンキング、
感情的になるな、
…どれもこれも、重かった。
とことんネガティブな自分を許したかった。
愛想笑いもやめたかった。思っていないことを言うことも、平気なフリをすることも。
やめる。
やめる。
じゃないと、この先ずっと息苦しい生きづらいままだと思った。
やめるのは、容易じゃないね。
我慢して必死に耐えて背負ってきたものを下ろすのは怖かった。
身ひとつになるのはあまりに不安だった。
でも、少しずつ、やってるよ。
たまに、また背負いそうになるけれど。
自分のためだから。
もう人のためじゃないし、人のせいにして生きるのは自分が幸せじゃないし。
少しずつやっていくしかない。
本当に少しずつ。
弱音も吐く。もう強がるのはやめる。
やりたいことやってみなよ!と言われてきた人もいれば、
お前には無理だ、こっちにしろ!と言われてきた人もいる。
興味持たれなかった人もいる。
ハードルはひとそれぞれ高さが違って突然だ。
なにかをすること、できること、すべて他人と比べる必要は、本当にない。
黙々と何かを作るのが好きなんだ。
果物をもりもりなんて夢のよう。
でも、盛り付けはなかなか難しい。
いちごがあっちこっち向いてるのはなんかね。
味はグー。