心が大事
自粛生活の中でも、変わらず営業を続けている業種、お店がある。
マスクのクレームとか、お金を手渡ししてきたから怒鳴ったとか…
そんな人らのために心を病む必要はなく、とっくにお客様は神様の時代は終わりを告げたから、はっきりやめてくれ、その言い方はひどい、NOを突き出していいんだよね。
そんなドラッグストアがあると知って、私は嬉しい。日本のやりすぎてきたお客様アゲアゲ文化や、行きすぎたおもてなし志向にストップをかけるきっかけになると思う。
ストップ、かけないとね。
いつまでも、お店側は怯えて思っていることが言えなくなる。
理不尽で聞き捨てならないクレーム対応に欠く時間と精神力はあまりにも無駄だ。
私は、ずっとイエスマンで、家でも学校でも友人の前でも、社会人になってもイエスマンでいることがおおかった。
きっかけは、小学校一年生のときの担任の先生の恐ろしさと、母親の厳しさだと思う。
言いがかりのクレームに、謝りたくなくとも頭を下げ続け、言い返したい気持ちをぐっと堪え、その上から罵声を浴びせれつづけた。
怒りに任せて怒鳴り、目が血走った60代男性のあの顔を、6年経っても忘れることはない。
我慢し謝罪し続けることで、確実に心は削られる。私はそうだった。
悲しむという大事な感情を押さえ込み、切り替えたつもりで数分後には笑って他の人の接客をしている。
心を削る代わりに、無理やり笑顔を作るのだ。
自然じゃない笑顔を作る代償はあまりに大きい。
異常だと思う、バカげてる。
辛いのに、虚しいのに、あまりに悲しいのに平気なフリして笑ってる。
ただ悲しくて泣きたいだけなのだから黙って泣く5分がなぜ惜しいのか。
早く立ち直ろうとするな。
平気なフリするな。
間違ってないなら謝るな。
やめて!って言え。
過去の自分に言いたい。
でも、本当によく頑張ったとも思う。
日本で世界中で心を削って生きる人が1人でも減りますように。
そうしたら、漠然と漂う生きづらさは薄まって、ペンギン村みたい雰囲気にならないかなぁ。。
コロナは必然だったんだ。
とまらぬ経済成長の波に乗り遅れまいと必死にしがみつき、心の悲鳴を無視して生きる人間への警告のような、一旦停止のような。休。
地球にいる以上、全ての生命は共存していかなくちゃいけないんだ。
人間だけが、何も言わない全てに対して好き勝手やっていいわけがないよなぁ…ってすごく思う。