向き合い工夫した生活を送る
ずっとそのことばかりを気にして生きてきた。
何かできるようになっても
不自由なく生活できていたとしても
満足できなくて、することを許してもらえなくて
私はダメだダメだダメだ
迷惑かけてると言われてもいないのに、迷惑をかけてしまった!といつも思っていた。
ずっと肩に力が入っていて、頭の中はぐるぐる考え事と後悔と恐怖で埋め尽くされていた。
不調に対しては、ごまかし続けた。
でも、焦燥感も虚しさも消えない。
ずっとあって積もり積もっている。もうどうすることもできない。
あるものをなかったことになどできない。それなのに、無視してきた。
心身を壊してようやくわかった。
不要な感情などなにもなかった。ごまかしたり、なかったことにしようとしたり、無理やりポジティブになろうとしたり。
そんなことをしたところで排除などできない。
それよりも、認めて感じ切ったほうがよろしい。
心に、体に良い、絶対に良い。
なんとかしようとできるものではなかった。
それでも、なんとかしなければと思ってきたのだ。
そうしないと、生きていけないと信じ切っていたから。
そんなことはないと、新しく信じたい。
人生はそんなに自分を抑え込んで我慢して取り繕って、自ら険しい道を作る必要はない。
どうか自然体でいてほしい。
感じたことは否定せず、伝えたいことは伝える。
辛い感情は負の感情なのだろうか?
それを否定するから、負になっているのではないか。
自分が安心できることはどんなことかとずっと考え向き合っている。
どうにかしなくてもいいと、思えたら。
どんな気持ちも静かに受け止めジャッジしないでよかったら。
好きなもの、好き!と隠さず言えたら。嫌いなものも、然り。
自分の気持ちに正直にあれたら。
人と比べず、私はこう思っていると常に思えたら。
辛さを苦しさを、人と比べて私の辛さなんて…とごまかしたりしないで。
自分の感覚を大切にし続けられたら、きっと私は嬉しいが増える。
コロナの拡大により、今の生活をどう工夫するか。
何かの誰かの行動や、失敗をひたすら叩いたところでなにも変わらないし豊かにはならない。
とりあえず、パンの研究は続き、ひたすら焼き、花を生ける。
どっちも好きなのだ。
バゲットはむずかしい…
妬み合うときじゃない。
人同士が敵になるときじゃない気がしている。