なんとかしなければ
ずっとその想いに支配されて生きてきた。
ポジティブな要素はなく、なんとかしないと私はまずいという感じだ。
人より遅く、とんでもなくマイペース。のろまで、できないことも多かった。
母はそんな私を心配し、いろんな習い事をさせた。させどもさせども、何かを習得することはなく、母の心配は増すばかり。
不安をかき消すための習い事は逆に大きくなって返ってきたわけだ。
できない私に母はあからさまに不機嫌になった。
一番嫌いだったのはピアノだ。
4歳から始めたピアノも、一向に上達しいまま10年なんとか続けた。イヤイヤ通い、先生に渡されたやりたくない曲を練習して、イヤイヤ発表会に出た。
うまくなるわけがないとわかっていながら、やめさせてはくれない母の機嫌を伺い鍵盤を叩いた。
居間に置いてあるピアノ。
練習するたびに兄弟から「うるせー」のブーイング。私だってやりたくないよ…心で叫びながら母の満足のために弾いた。
私は我慢することに慣れていき、それが当たり前と思って数年前まで生きていた。
でも、これからまだ人生何年つづくわからないが、平均寿命まで生きると仮定して…
。。つ、つ、辛すぎないかい。。
ものすごく嫌だと思った。
自分ができないことが多いとかそういうことに対してではなく、我慢の上に成り立つ自分の生き方に、もうたまらなく嫌だ、このまま生きていきたくないと思った。
20代半ばだった。
その頃には我慢我慢我慢を積み上げすぎて、心はすっかりぽっかり疲弊していた。
確かにあるはずの自分な好きなことにも蓋をして、我慢をして嫌なことをたくさんやっていた。
疲れた心を癒す、というかもっと気楽に?楽しく?のびのび?人生を生きる?…え、なんだろうそのふわふわした感じ。でも、もしそうだったら生きやすい楽しい人生なのかな…わたしには…とてもじゃないが…
あまりにも遠いところにいる気がしたけれど、我慢の上でなりたつ自分な生活はもうやめたいと思ったんだ。
そして、我慢して誰かの顔色ばかりを伺う自分を変えたいと強く思った。
ーなんとかしなければ。
幼少期から人よりできない自分を否定されて、自分でも否定してその度に思ってきた。
なんとかしないとこの子はダメだというような鞭を打つ感覚。
でも、それまでの否定や不安からくることではなく、20代半ばにして初めて心が楽に生きられるようになりたい、我慢をやめたい、なんとか自分を救ってあげたい、そんな優しく手を差し伸べるような感覚だったんだ。
自分を変える…というとちょっと大きい。
うーん。
本当は誰かにコントロールされるではなく、自分の感覚に従って選ぶ力があるはず。
それを思い出す感じだ。
自分の感覚を取り戻す、長い旅が始まった。